「人は思った通りの人間になる」 有名なナポレオン・ヒルの言葉です。 一方で、聖書に次のような言葉があります。 「神の思いと肉の思いは相容れない」 自分という人間のハンドルを自分が握るとき 成功哲学は大きな意味をなします。 学校もそのように教えます。 しかし、聖書はそのように語りません。 「肉の思いを焼き尽くし、自分に死ぬこと」 そして、神の思いと一つになる自由を語ります。 「世の中で成功して、たくさん富を儲ければ、多くの人を救えるじゃないか」 これが人の考えですが 神はそのように考えません。 無実の罪で刑務所に入ること。 財産を全て失うこと。 最愛の人を失うこと。 村八分を覚悟で差別された人のところに行き共に時を過ごすこと。 困難の中に神を見るとき それは試練へと変わります。 困難の中に自分を見るとき それは悲...
今年5月の「天上の音楽」の一場面。 私のもう一つの大事な仕事があります。 それは「神様の僕として働く」ことだと思っています。 先回の記事で書いた、ありとあらゆる実務的な仕事は、すべてこの一点に集約されるといっても良いかもしれません。 コンサートでよく演奏する「君は愛されるため生まれた」の一節に次のような歌詞があります。 永遠の神の愛は我らの出会いの中で身を結ぶ 君の存在が私にはどれほど大きな喜びでしょう ありとあらゆる方法でこれを伝えていくことが仕事だと思っています。 ただ、その仕事を担うには、他の仕事と同様「条件」があります。 1)自分の考えや方策を全て捨てて、自分が全く無力であることを認めること。 2)祈ること。特に周りの人に対して。 3...
急激に秋らしくなってきました。 石のように固くなってしまった心に対して、 何ができるでしょうか。 今週の苦悩の末に辿り着いた答え。 大原則に結局は行き着きました。 <Phase 1 準備> ①あらゆる人間的な計りごと、戦略を捨てる ②静まって黙想する。神の言葉を聞く。 ③神のみに信頼し、一歩を踏み出す <Phase 2 実践> ④相手のために祈る。 ⑤小さなことに注力し、愛を込める。 ⑥結果は神に委ねる。神が手を下されるのを忍耐して待つ。 <Phase 3 刈り取り> ⑦事が成就するのを見たら、それを決して自分のものとしない。すべて神に帰す。 &...
今日8/7の日経新聞に取材が出ております。よろしければご覧ください。 今朝のある都心の風景。 心を集中させると、普段は聴こえていないのですが、電波のような耳鳴りのような、非常に高い表現しがたい、包み込む感じのものを、感じ取ることができます。 自然がたくさんあったり、祈りの積まれているようなところではこれを感じることができるのですが、都会の喧騒の中ではなかなかこれを感じることができません。 しかし、今日はテレビ塔のすぐ横にいて、頭に攻め込んでくるような強いものを感じました。自分が心を集中しようと思うと、そこに強烈な勢いで割り込んでくるのです。 これはいったい何なのだろう、と思い巡らせているうちに、「プロパガンダ塔」という言葉がふっと思い浮かびました。「天国」(神様の支配が及ぶ場所)とどう違うのか、と...
ワールドカップで日本中が浮かれ、テレビが始終その話題に占拠されていた先週、私は「これは何かが起こっているに違いない」と思わざるをえませんでした。 取り返しのつかない重大政治決断が行われるときは決まって、人々が浮かれている時です。 「不信」これが人間の一番恐ろしい一面です。それが米中の経済制裁となって現れてきました。 これは単に経済の問題にとどまらないと思います。 信じること、愛し合うこと、その先には「祈り」があります。 祈りとは、委ねて、待つこと。自分の力で解決しようとしないことです。 疑うこと、恐れ、その先には「不信」があります。 不信とは、自分が主権を握り、今すぐ自分の力で解決しようとすることです。 不信から武装した勢力が、その後歴史でどのような道筋を辿ったか、日本...