今年5月の「天上の音楽」の一場面。
私のもう一つの大事な仕事があります。
それは「神様の僕として働く」ことだと思っています。
先回の記事で書いた、ありとあらゆる実務的な仕事は、すべてこの一点に集約されるといっても良いかもしれません。
コンサートでよく演奏する「君は愛されるため生まれた」の一節に次のような歌詞があります。
永遠の神の愛は我らの出会いの中で身を結ぶ
君の存在が私にはどれほど大きな喜びでしょう
ありとあらゆる方法でこれを伝えていくことが仕事だと思っています。
ただ、その仕事を担うには、他の仕事と同様「条件」があります。
1)自分の考えや方策を全て捨てて、自分が全く無力であることを認めること。
2)祈ること。特に周りの人に対して。
3)信じて一歩を踏み出すこと。結果は神に委ねること。
この世では「事業計画」「決算報告」というものがあります。1年後、3年後、5年後、10年後の展望、および、過去3ヶ月、半年、1年の実績を数字で報告しなければなりません。
神様の仕事は、これが全くといっていいほど、あてにならないことを様々な経験を通して知りました。そして同じように神様の仕事に賭けている人々は、皆同じことを言います。
「いつも、奇跡的な方法で、ぴったり必要なだけ与えられる」
足りないもの、不安定さに目を向けると、恐ろしくて足がすくむことばかりです。
しかし、与えられているもの、奇跡的に備えられた恵み、それらを数えるときに、神様としか思えないような現実を次々と発見します。
何かをしようと思う時、同じように神様との交わりを持っている人たち同士だけで何かをすることは現実的にはほぼ不可能です。いろんな考え方の人の力をお借りすることになります。
その方々には、このビジョンは説明しても共感は難しいでしょう。現実的に支払いは生じますし「なぜ」「いつ」という疑問に、数字を持って答えることを求められます。
そこで忍耐を持ってリスクを取り、歩み続けること。それが実は「私の仕事」の、一番の本質かと思わされます。