![[日比野 則彦 / Norihiko Hibino Official Blog]](https://life.rinshu.net/images/header-logo.png)
昨年を振り返ってみると、新しいチャレンジの下で多くの方に支えていただき、一年を乗り越えることができました。ありがとうございました。今年も引き続きよろしくお願いいたします。
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というのが、表向き正しい回答だと思うが
現実は、絶対に不可能な無理難題を期限内にやり切ることを求められ、リスクはすべて一人で背負って解決しろ、の連続。
ウェルビーイングでよく「自己犠牲が限界にきたら、立ち止まって離れてみよう」と調子のいいことを言っているが、それは雇われている人の話。
労働者の方が圧倒的に強くなってしまったこの国の法律の下では、さまざまな理由でちゃぶ台をひっくり返された後始末は全て「言い出しっぺ」が一人でリスクを抱えて始末しなければならない。どんなに個人的に苦しかろうが、「返済」と「責任」という名の監獄の中で、誹謗中傷を浴びながら給料と返済を払い続ける。
悪いのは全部「言い出しっぺ」。
自己犠牲も尽き果て、限界をとっくに超えている。それでもそれでも非難が飛んでくる。「悪いのはお前だ。管理ができていないお前の責任だ」
除雪しきれず塊になった雪のように
重荷が積もっていく。
何度死のうと思ったことか。
その方がよっぽど早く資金的に解決する。
そんな中、唯一生きる望みを与えてくれるのが、演奏のとき。
中でも庭園ジャズライブと、ピアノラウンジには、本当に支えられていた。
言葉もなく、個と個が向き合う中で
音だけが真実に内側に響く。
「今、出した一音が、ホンモノか、ニセモノか」これがすべて。
今一緒に音を出してくれている演奏家は、自分と向き合い、しっかり立っている「ホンモノ」の人たちばかりだ。
その響き合いが、自分にとっては生きることだった。
建物はやがて朽ち果て、人はやがて去る。組織はいずれ役割を終える。
でも、この瞬間の響き合いは、時間を越える。人の心に残り続けることもあるし、思い出を涙と共に呼び起こすこともある。
その一瞬が唯一の拠り所だったし、今年も。