花のベルの形状は、蓄音機を思わせますね。理想的な美しさです。花のスピーカーを開発された古賀さんによると、百合は結構いい音がするそうです。
この6-7月は、テロ、暴動が世界各地で勃発しています。亡くなった方、残された遺族の方のことを思うとき、本当に心が痛みます。
そのような明日も分からぬ不安な日々の中で、どうすれば希望を持って生きていくことができるでしょうか。もし自分がテロリストの襲撃を受け、銃を頭の前に突きつけられたとき、また家族の殺害を聞かされたとき、いったいどうすれば希望を持ち続けられるのでしょうか?
いのちの意味・・というものを考えずにはいられません。
なぜこんなに、簡単に理不尽に、人は人の命を奪うことができるのでしょうか。
テロリストでなくても、交通事故や自然災害も同じと言えます。なぜこの人が、よりによって私の大事なこの人が、どうしてこんな目に合わなくてはならないのか・・もしくはその後何年も療養が続き、介護の側も限界に立たされることもあるでしょう。
交通事故はさらに悲惨かもしれません。それに加えて自らが予期せぬ加害者になることもあるでしょう。どうしようもない罪悪感を抱えつつ生きるのは、死ぬ以上に苦痛なことかもしれません。
世の中には、分からないことが本当に多くあります。
人々は、過激派組織が悪い、政府が悪い、国際関係が、政治が、会社が・・・と様々な悪の原因を探ります。悪を明確にすることで、痛みに対する憐みを受けられる部分は確かにあるでしょう。
しかし、シリアで犠牲になった後藤健二さんはインタビューで「テロリストの根源は、貧しさや虐げに対する反発として『土地が欲しい』『国を作りたい』という思いがあって、その思いに同調する人々の資産が集まってくる」「日本人は宗教観や土地を理由に戦争をしないから、中東の方からとても好かれている」と語っていました。
中東の人々の、砂漠で井戸が枯れることによる命の危険への恐怖とそこから来る土地への執着の逼迫感と、植物が美しく育ち、水に囲まれ、農作物に恵まれ、あらゆるものに神を感じられる日本人の感性は、全く違うものですし、いかに日本が恵まれた国であるか、ということを思います。
日本が世界に対して行うべきことは、平和を維持し、思想や宗教の区別なく隣人を思いやる関係を持ち続けること、そして世界が「日本のようになりたい」と思えるような、世界の希望である国であり続けることではないでしょうか。
そのためには、私たち一人一人が、愛に生きること。愛のために犠牲を払えること(日本ではそれが十分できます)。身近なその一つ一つの行動の積み重ねをすることではないかと思います。
まず夫婦関係、親子関係、そこからスタートできるのではないでしょうか。疲れた人、重荷を負う人は、身近な人が少しずつ支え合う。これこそ、日本のなせる希望ではないかと思います。