2015.05.04

水の上にパンを投げると -when you cast your bread upon waters-

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早朝の日本海。今日は波が穏やかです。

昨日は久しぶりに日帰りで関西方面に行きました。新潟から金沢周りで、琵琶湖周辺を通りました。湖畔が美しかったです。

 

ところで、水の上にパンを投げるとどうなるでしょうか。

「溶けて無くなる」「波にさらわれて消える」「浜辺のゴミになる」・・何も良い事が起こらないような気がします。

せっかくの美しい水面が台無しになるようにすら思え、「ムダ」の一言しか出て来ないように思えます。

 

どうしてこんな話をするかというと、私は、音楽の本質は、そういうものではないかと思うからです。

この「水の上にパンを投げる」は、コヘレトの言葉から引用させて頂きました(全文は「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。」)

良い音楽を作るには、それなりのお金がかかります。コンサートをするのでも、有名な人を使って沢山の人に喜んでもらえる事をやった方が、集客も出来、利潤も生まれるので、良いに決まっています。なにも不確定な事をあえて狙う必要等ないでしょう。

しかし、ここで考えたい事があります。

私達は一人残らず、いつかこの命が終わって海辺の砂粒に還る日が来ます。その時、何が残るでしょう?

次世代の為を思って残した財産や組織も、争いの種にしかならないことは良くあります。

残るのはむしろ、形のない、パンを投げた、ということそのものではないでしょうか。そこには利害を超えて「愛」しかないからだと思います。

世の中に耳に麗しい音楽は沢山あります。そういう「愛」の音楽は、時に耳に麗しくないかもしれません。未熟な演奏だったり、時代の理解を超えたものかもしれません。人によっては騒音と判断されるかもしれません。

でも、その音楽が、ちょうどタイミングよく人の心に触れる時、予想もしないことが起こります。音楽を聴いてわけもなく涙が出てくるのは、そういうことではないでしょうか。こういうのを「神業」というのでしょう。演奏者や、音楽自体の業ではないと思います。

自分の持てるお金、知識、技術を世に投じて、「神業」に期待すること。一切の実利や形を伴うものへのリターンはないかもしれないけれども、逆に、死にかけていた人を生と希望に導くことだってある。

そこに立てるかどうか・・・それが問われます。

 

自分の力ではとても立てません。だから本質を極めようとする音楽家は、神に全面的に頼るか、破滅に向かうか、という選択肢を迫られる事になります。

「水の上にパンを投げる」覚悟が、演奏家に今一番求められているのかもしれません。

Jone Coltrane 「至上の愛」(A Love Supreme)。
多くの演奏家の人生を変えた名曲です。

-----English------

When we cast bread on the water, it will be either

- drawn in water
- gone with the tide
- turned into trash at beach

However, I think that is the true nature of music.

When we die, what is left over? Money, fame...are all gone, and the heir will more likely get in trouble.

What is really left is, only the fact that "I cast bread without any return", because it is beyond our normal expection, and in fact, it is done for love of God.

When the music is spiritually played for someone's heart at right timing, he/she can't stop crying, that is because God touches him/her through music.

We musicians should put all our technique, wealth, tactics aside and cast our own music into the world, without knowing its result. We are born as a part of God's instrument.


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