大阪近郊に生まれ育ち、東京で15年、それからなぜ今、新潟なのか。
それは、新潟でないとできない仕事があったからです。
その間、3年のアメリカ生活、10年に渡るマレーシアとのご縁、度々の海外出張で世界のいろんな地を見る経験をさせて頂きましたが、改めて日本の良さに気付きました。
- 繊細、丁寧な仕事
- 人のことを思いやる利他の心
- 豊かな自然、気候、食
- 効率・利益だけでものを考えない(共存共栄)
新潟は、関越の山に遮られているおかげで、良い意味で日本の欧米化・スピード効率化の波をそれほど受けずに、日本の良さを育んでいる地だ思います。
また冬の厳しさが、これらの良さを更に醸成しています。冬の間思ったように動けない、ということが、これほど大事であるとは思っても見ませんでした。動物は、その間冬眠するか、皆死に絶えるか(これが畑に取っては結構大事)、越冬で飛来する白鳥のように家族で身を寄せ合って暮らすか。すべてのことには時があるということを改めて知らされます。
ここ6年間開発を続けて来て、ようやくこの半年で陽の目を見たサウンドケアシステム「凛舟」は、上述の要素が全て必要でした。効率・効果・利益を考えるには、あまりにも先の見えない冒険でした。
凛舟は、冬の厳しさと人生の荒波を掛け、そのなかでじっと静かに、でも希望を持って進んでいく舟をイメージして付けた名前です。新潟でなければ、またその人々の支えがなければ、これは形になる事はなかったと思います。
まだ船出したばかりですが、本当に必要な方の所に届けられるよう、進んでいきたいと思います。
-------English------
After many years of living in Osaka & Tokyo, why I moved to countryside city Niigata?
Because I had a work which requires:
- Sensitive, delicate work
- Think of others before oneself, hospitality
- Rich nature, food, climate
- Live together is the first priority, efficiency and speed are second.
At niigata, because it is separeted from Tokyo area by huge mountain, all these Japanese virtue is still there. In winter it is quite tough in Niigata and we can't do much activity, but that enhances that virtue more.
My 6 years or experiment now came into fruits, RINSHU, sound care system at Niigata. Without help from people here, it has never came out.