長生館の庭園ジャズライブも3年目半ばに入った。
翌年に向けたアルバムを製作中。
長生館のライブで夫婦良い時を過ごすことを生きる目標に
埼玉から足繁く通ってくださっていた、大切なお客様がおられた。
余命数ヶ月と宣告されながら、会うたびにお元気になっておられる様子だった。
今年春にお会いしてからお見かけしないなと思っていたが
先日、ご逝去のご連絡があった。
この9月の庭園ジャズライブをずっと目標にしてくださっていたようだ。
体調面で来るのが難しいとわかると
同じ時間に、CDを聴いています、と嬉しいご連絡までいただいた。
その余命宣告から3年以上が経っている。
長生館の庭園ジャズライブは、満月の時には演奏時間にちょうど月が照明効果のように演者の上に現れる。それはそれは幻想的な光景だ。
奥様とお二人、寄り添いその月を指差しながらテラスで庭園の演奏をお楽しみいただいていたのがとても印象的だ。
奥様の心砕いた寄り添いと、ご主人の謙遜な姿勢があってこそだが
この3年間、希望のない病に心を痛めつけられ苦しみのうちに過ごすのか
ささやかでも心満たす豊かな時間に目を向けるのか
このQOLは全くと言っていいほど別物だ。
人はなんのために生きるのか
答えのない問いだが、一人残らず最後に直面する課題だ。
早くいのちを絶ちたい。
楽になりたい。
この苦しみを終わりにしたい。
その想いは、正直な気持ちかと思う。
でも、生きることの喜びを、どこかにか見出せた人は
本当に幸せだ。
庭園ジャズライブが、ほんとうに小さいことかもしれないが
そのきっかけになっていたとしたら、続けてきた意味があったのかと思う。
演者にも私にも、生きていく意味を、この方は与えてくださった。
最大の置き土産だ。