2018.08.07

プロパガンダ塔と天国

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今日8/7の日経新聞に取材が出ております。よろしければご覧ください。

 

今朝のある都心の風景。

心を集中させると、普段は聴こえていないのですが、電波のような耳鳴りのような、非常に高い表現しがたい、包み込む感じのものを、感じ取ることができます。

自然がたくさんあったり、祈りの積まれているようなところではこれを感じることができるのですが、都会の喧騒の中ではなかなかこれを感じることができません。

しかし、今日はテレビ塔のすぐ横にいて、頭に攻め込んでくるような強いものを感じました。自分が心を集中しようと思うと、そこに強烈な勢いで割り込んでくるのです。

これはいったい何なのだろう、と思い巡らせているうちに、「プロパガンダ塔」という言葉がふっと思い浮かびました。「天国」(神様の支配が及ぶ場所)とどう違うのか、ということを思いつくままに書いてみました。

 

「プロパガンダ塔とは」

・(伝播方法)力による伝播

・(原動力)資金力による

・(支配力)広帯域支配力

・(計画性)免許制、綿密なプランニング

・(外観)視覚的圧力

・(継続性)一過性の支配権の売買

・(共有感情)恐れ・争い・妬み

・(求心力)利益

 

「天国とは」

・(伝播方法)愛と祈りによる伝播

・(原動力)少数の神に人生を委ねた人による

・(支配力)自由な出入り、選択制

・(計画性)いつでもどこでも開始・リセット可能

・(外観)見た目には乏しい

・(継続性)持ち物の共有による継続力

・(共有感情)忍耐、喜び、感謝

・(求心力)愛

 

どちらを選ぶかは、その人次第。

両方に足を掛けることはできないと思いました。

 

真のリーダーとは「どれだけ自分を捨てて、人生を神に委ねていけるかだ」と

ある先生が教えてくださいました。

人はすべてを悟り得てから正しい行動をしたいと思いますが、それはやがて「傲慢」であると知らされます。

それよりも、自分が神に用いられる「えんぴつ」になる(マザーテレサの言葉)ことを求められています。そのためには、パソコン・プリンター・電源・頭脳・才能・知識など、なくてはならないと思い込んでいるものを、捨てなければいけません。

 

そうはいっても家族が、生活が・・という言葉が二の次に聞こえてきます。

しかし、その必要も思いも、私たちを造れられた神様はすべてお見通しです。大事なのは、今日、今この時に、祈り、小さくてもできることから始めるかどうか、ではないでしょうか。時が来ればかならず成ります。


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