2018.08.28

脱グローバル化のススメ

IMG_1190雨上がりの加茂山公園。

私はワインが大好きです。

今日の晩酌では、封を開けて2週間以上経つワインと、今日封を開けたワイン(同じワインです)の飲み比べをしてみました。封を開けて時間が経ったワインは、どうも味が美味しくないので、どれくらい違うか試してみようと思ったのです。

なんと、驚くことに、味自体はほとんど変わらないのでした。

しかし、口に入れた時の「感じ」が違います。

確かに、新しいワインはすんなりと口もとを通り過ぎていきます。スムーズに味わうことができます。しかし、古いワインは「すっきり」していないのです。味そのものとは少し違う次元の話でした。味が変化しているものと思い込んでいた私にとっては、大きな発見でした。

先日、1年ぶりにお会いしたオランダのタナカ先生が、オランダのとても美味しいチーズをお土産に持ってきてくださいました。ワインとの相性は格別です。

私は、本当に幸いなことに、世界中に友達がいます。

でも「グローバル」という意識を、ほとんど持ったことがありません。

なぜなら「個人対個人」であくまでつながっているからです。

仮にそれが仕事に展開したとしても、やはり「個人対個人」は変わらないので、習慣の違いなどはありますが、基本的に友情もしくは信頼で結ばれていて、その先にしか仕事はあり得ません。仕事があろうがなかろうが、友人でいられる人たちがたくさんいることは、ありがたいことです。

 

いつからか、グローバル化は「植民地化」もしくは「支配」「効率化」の代名詞になってしまいました。

自国のマーケットに飽き足らず、他国を「攻め落とす」「利用する」それがグローバル化の現実ではないでしょうか。その裏側には、富、名誉、立場に対するあくなき欲望と願望が見え透いています。

実は、これは海外だけの話ではないと思います。グローバル化から一番遠いと思われる、地方の駅前シャッター街も実は「グローバル化」の一部だと思います。

というと、「郊外型大規模スーパー」の影響だ・・と単純に連想しがちですが、問題はそこだけではないように思います。

なぜ駅前はシャッター街になるのか・・それは、駅前という立地の地価と、そこにからむ利権が大きく影響しています。

「自分の城を守りたい」これは現代における「グローバル化」の意味するところと、ほとんど同じではないでしょうか。

 

人は「私」が中心になる時、誰でも、成功・安定・永続性・利益を求めます。

それがなくなると、私の存在意義がなくなるからです。

 

しかし、本当に永続性のあるものは

自分のいのちを投げうつほどの愛だけではないでしょうか。

 

私は加茂山公園に行く時、その採算性を度外視した、文化と自然を守る地域の人々の努力にただ頭が下がる思いです。

こんなに地域の経済が苦しい中で、公園の維持費が十分に捻出できるとは到底思えないこの公園が、なぜいつもこんなに美しく保たれているのか。

加茂の人々の、仕事の丁寧さ、もの・文化を大切にする心、正直な心、それは本当に素晴らしいと思います。

効率や世に言うグローバル化からは遠くても、今の日本からは失われつつある、大事なものを育んでいる気がします。

地方創生の本質、それは、顔の見える一人一人が、お互いに小さな思いやりの愛を注ぎ合うことに尽きるのではないでしょうか。特に、弱い立場にある人々、そのような人々が皆で、たとえ非効率であってもお互いに役割を担いあいながら、地域で共にものづくり・ことづくりをしていく。政策・経済・その他のものは、すべてその後からついてくるものだと思います。

 

 

 

 


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