ワールドカップで日本中が浮かれ、テレビが始終その話題に占拠されていた先週、私は「これは何かが起こっているに違いない」と思わざるをえませんでした。
取り返しのつかない重大政治決断が行われるときは決まって、人々が浮かれている時です。
「不信」これが人間の一番恐ろしい一面です。それが米中の経済制裁となって現れてきました。
これは単に経済の問題にとどまらないと思います。
信じること、愛し合うこと、その先には「祈り」があります。
祈りとは、委ねて、待つこと。自分の力で解決しようとしないことです。
疑うこと、恐れ、その先には「不信」があります。
不信とは、自分が主権を握り、今すぐ自分の力で解決しようとすることです。
不信から武装した勢力が、その後歴史でどのような道筋を辿ったか、日本の歴史を見るだけでも「国破れて山河あり」が至る所にありはしないでしょうか。
これからますます危機感を持って、個人が、会社が、社会が、世の中の右向け右の風に、どう相対するかが問われてくると思います。
戦うべき相手は、敵でも、正義でもないはずです。
「自分の今日一日の姿勢」それこそが、戦うべきものです。