2018.06.20

成功と失敗の陰に

IMG_0343今日は全国的に大雨の予報。

日本全国がサッカーの勝利に沸いている様子が報道されていました。

 

度重なる努力と研究の末に、辿り着いた勝利は素晴らしいことだと思います。

「どうして勝利できたのか」について、解説員が緻密な分析をされておりました。

 

私はほとんどテレビを見ないのですが、偶然その試合の場面を見て

唯一印象に残ったのが、日本の得点のきっかけとなった、コロンビアのハンドの反則で退場となった選手の、退場の時の顔です。

ものすごい焦り、重責・・なんとも言えない辛そうな顔をされていました。

 

その直後には、そのチャンスに沸く日本中の観客の熱狂的な声援の様子。

 

ルールだから仕方ないとはいえ、誰もが犯す可能性のある、たった一度の反則で

全世界が四面楚歌状態になることの恐ろしさ。

たった一度の過失で「もうお前は必要ない」と判断され、退場させられる現実。その事実を狂気の沙汰のように喜ぶ人々。

世の中の縮図を見た気がしました。

 

サッカーが好きな方からすれば、当然の一コマなのでしょうが

たまにしか見ない私にとっては、その彼の家族・友人のことを思った時に、どんな気持ちになるだろうか・・と考えてしまいました。彼がそのことでサッカーをやめてしまうようなことになったら、本当に残念です。

 

姦通罪で処刑されることになっている女性に対して、律法学者から判断を求められたイエスが「罪を犯したことのない者が、この女にまず石を投げなさい」と語られました。そうすると、一人また一人と去って行って、最後はイエスしか残らなかったという話が聖書に記されています。

 

群集心理が働く時、人は一斉に石を投げることができてしまいます。インターネット上では、石を投げた記憶すら無く、クラスター爆弾を投下することも可能になってしまいます。

 

大事なのは、私が、どうするのか、ということではないでしょうか。

 

石を投げる側に立つのか、石を受ける側に立つのか。

 

売上、利益なのか。それとも善、愛なのか。

 

利益がなくては社員を守れないのは当然だと考えれらえますが、利益があっても善・愛はついてきません。

逆に善・愛を出発点としていれば、皆で利益を上げる方向に向かうことができます。神が利益を予想もしない方法で導いてくださいます。スポーツにおいても同じではないでしょうか。

ブラジルのゴールキーパー、ウェヴェルトンが五輪決勝戦で延長戦のPKで守りぬいた時のコメントが印象的ですね。

「神がぼくを祝福してくれた。愛する祖国よ、金メダルはぼくたちのものだけど、栄光は神にあります。ネイマールは、ロンドン五輪で銀メダルだったことと比較して、神がネイマールに2度目のチャンスをくれたと話していた。神は皆を愛するように彼を愛している。」

 


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