涙とともに種を蒔く者は
喜び叫びながら刈り取ろう。
種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は
束を抱え、喜び叫びながら帰ってくる。
(詩篇126 5-6)
どんなに立派なバスタブがあっても
どんなに絶え間なく注ぐ水の源があっても
栓をせず水を注ぎ続けたら
いつまでたっても風呂には入れません。
気がつけば、水が枯れてしまいます。
私の仮庵が、先ほどまさにそういう状態でした。
実際水が枯れていました。
私がそれに気づいたのは
静かに聞き耳を立てたからでした。
あまりにもスムーズに蛇口から排水口に直結していたので
ほとんど音がせず、ときおり、はねたしずくが音を立てるだけでした。
なんと私はこの状態で2週間も放置していたのです。
私の仮庵は、給湯器ではなく、地下組み上げのお湯(一応温泉みたいです)を前払いで買うことになっています。
水が枯れてしまって、再度お金を払って、部屋に入って静まった時
初めて気がついたのです。栓をしていなかったことに。
種を蒔き続けるための希望を持つために、必要なこと。
それは、時折静まって、実った恵みを味わい、喜ぶことかもしれません。
恵みを喜ぶこと。
これが、苦難の道のりの中では、一番難しいことでしょう。
時には栓をして
自分が湯舟に浸かって
温泉の恵みを、しっかり楽しむのも、大事なことなのかもしれません。
そのためには、静まることです。
今日は村上の鷹ノ巣温泉で演奏させていただきます。
演奏後はゆっくり休む時間をいただこうと思っています。