2017.10.12

砂漠に咲く花 -flower in the desert-

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誰もいない、山奥の水源地。

誰が植えたわけでもないと思いますが、本当に美しい花が咲いていました。

 

結果だけを求められる生存競争の中で、

時に私たちの心は、砂漠のようにカラカラになってしまいます。

 

人は渇きを癒すために

自分の井戸を掘ろうとするのですが

そのために、また争いが生まれます。

 

井戸を築くための財を漁る者。

井戸にを支配しようとする者。

井戸を売ろうとする者。

井戸を奪おうとする者。

 

しかし花はどうでしょうか。

何を生み出すというわけではなくとも、限られたいのちをそこで精一杯生きる姿があります。

 

明日、枯れるかもしれないのに

今日、精一杯、花を咲かせる。

 

 

サステイナビリティ。もちろんそれは大事でしょう。

しかし、誰がそれを決めるのでしょうか。

明日起こるかもしれない、天変地異や不祥事発覚を、誰が100%止めると言い切れるでしょうか。

もしくは、井戸を批判されたくないから、慈善行為をするのでしょうか。

 

 

自分のいのちを守ろうとする者はそれを失います。

自分を捨てる者は、本当のいのちを得ます。

 

これは個人でも企業でも同じだと思います。

代表者がいのちを差し出さずして、どうして社員がいのちを差し出すでしょうか。

 

会社にとっていのちを差し出すとは

損をすることを分かっていて、見返りが得られないことを分かっていて、必要とされるところに思い切った投資をすることです。

事業の赤字をすぐに埋めようと思わないことです。

見捨てられた一人の社員のために、九十九人を置き去りにしても取り組むことです。

 

砂漠に花を咲かせる。

そのために、私たちは思い切って自分のいのちを捨て

愛の水を注がなくてはなりません。

 

そうすれば、必ず、井戸ではなく、備えられている泉が見えてきます。

絶え間なく注がれる、泉が。

泉から溢れる水は、やがて地を潤し、無数の花を咲かせることになります。

 

「しあわせのたねをまこう」天上の音楽 魚沼公演より

1.
しあわせのたねをまこう
しあわせのたねをまこう
やさしいえがお はげましのことば
いつも たずさえて

しあわせのみちすすもう
しあわせのみちすすもう
やさしいきもち あいするこころ
いつも たずさえて

はれるときも あめのときも
わたしはたねを まきつづけよう
いつのひにか ときがくれば
ひゃくばいの みがみのります

しあわせの たねをまこう
しあわせの たねをまこう
やさしいえがお はげましのことば
いつも たずさえて


2.
しあわせのはなさかそう
しあわせのはなさかそう
ゆるしあうこと よろこびのうた
いつも たずさえて

あいのみずをそそごう
あいのみずをそそごう
ともになくこと なぐさめのことば
いつも たずさえて

たのしいときも しずむときも
わたしはみずを そそぎつづけよう
いつのひにか ときがくれば
せんりんの はながさきます

しあわせのはなさかそう
しあわせのはなさかそう
ゆるしあうこと なぐさめのことば
いつも たずさえて

いつも たずさえて


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