2013年5月に「天上の音楽」を始めてからもう70公演近くになるかと思います。特にここ1年くらいは、出来るだけ小さな所、必要とされる所にケイタリング(出前)コンサートに伺っています。
どんな環境であっても絶対に手を抜かない。これだけは守り続けているつもりです。音響機材は許されるベストのものを持って行きますし、選曲に関しては施設と可能な限りのお打ち合わせをします。サウンドチェックもどんなに時間がなくても会場の隅々まで自分が足を運んでチェックします。
選曲・時間・話の内容はもちろんニーズに沿いますが、願う所はいつも同じです。「一人一人に神が触れて下さるように」。そして「生きていく希望」が生まれることです。私に与えられている能力、それは演奏技術だったり、エンジニアの技術だったり、チラシを作ることだったり、話すことだったり、入居者様との握手だったり、車の運転だったり、健康な体だったり、いろいろありますが、それを全て捧げ尽くしているか、を問い返します。
私にできることは、とにかく持てるもので精一杯やること。そして種を蒔き続けること。結果は神に委ねます。
私にとっての「リアル」な方法が天上の音楽コンサートだとすると、「バーチャル」な方法が凛舟だと思っています。どちらにしても、経済活動の常識からするととんでもなく不器用なやり方かもしれません。
かつて「音楽で飯を食うこと」が一番の主眼だった私にとって「目先の利益」を捨てることは一番のチャレンジでした。しかし聖書に書かれてある「あなたは神と富の両方に仕えることはできない」「朽ちる食物のためでなく、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」という言葉は、私の計算好きな思考回路がいかに外れているかということを、実例を持って証明してくれました。
暗闇に、小さくとも光が灯されること。
それは、どんなに希望となるでしょうか。
計算が成り立たないからこそ、そこに愛が宿るのだと思います。