わたしたちのいのちとは何でしょうか。 いのちが私たちの内側にあるとしたら、火葬場で燃やしたらなくなってしまうはずです。 聖書の創世記には「神は土のちりで人を造り、いのちの息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった」と書かれています。 聖書の中で度々登場する「息」という単語は、ヘブル語の「ルーアッハー」という単語のようですが、これは同時に「風」「霊」という意味も持ち、神と人のいのちのかかわりを示す言葉です。 様々な哲学・宗教・科学に至るまで、この「霊」の存在を明らかにしてこようとしました。しかし、聖書の中でイエスが「あなたは風がどこから来てどこへ行くのか知らない」と語られるように、人には最終的には分からないことです。 人は風の音を聞けば、風が吹くことがわかりますが、風をコントロールすることは、誰にもで...
冬空に映える福島潟。 今日は朝焼けがとっても綺麗でした。 先日、私はほんのわずか人とぶつかった際の衝撃で、どうやら中指の関節を痛めてしまったようです。日常生活では何も問題がないのですが、よりによってこのコンサートシーズンの12月に指を痛めるというのは、致命的なことのように思えます。練習しようと思えば思うほど、それができない自分に向き合わなければいけない。 とても気合いを入れて準備をした本番で、予期せぬハプニングが起こって、全てが台無し、というような思いになることは演奏家なら度々経験があるのではないでしょうか。 私たちはみな何かしらの「才能」が与えらえていると思います。「頭の良さ」「機転がきく」「分析力」なども才能の一部かと思います。 才能自体は素晴らしい恵みですし、収入を生み出し、多くの人を幸せに...
この時期になると、新潟には「天のはしご」と呼ばれる、美しい光の筋が見られるようになります。時には、あるスポットに向けて天から光が注いでいるように見えることもあります。 天気予報が曇、雨となっていても、空が広いため、ある部分が晴れている、なんてこともあります。 「新潟の冬はずっと鉛色の空で鬱になってしまうよ」と事前に何度も聞かされていたのですが、「希望」とはこういうものなんだろうなあ、と思うようになりました。 希望は、光と同じく、さんさんと注がれなんの障害もない時には、それがあることすら気がつきません。むしろ、「患難」という影、雲に覆われ、その中で忍耐する、だからこそ、本当の「希望」を知ることができるのではないでしょうか。 目黒でスタジオを作った時もそうでした。元々は南も東も全面窓の開放感あるスペースだったのです...
先日の北京にて。 インフルエンザを貰って帰ってしまったらしく、今週は自宅安静です。 成功ということについて、幾度となく考えてきました。 中国人にとっての成功は、おそらく「繁栄」でしょうが、 問題は「何を持って、どの地点に達したときに、人は成功と感じるのか」ということです。 人には誰にでも、何かしら「才能」が与えられています。 どう考えても平等でないことは誰の目から見ても明らかです。 では、多く才能をもらった人が、より成功するのでしょうか。 才能は「神様からもらったもの」であることは否定できないと思いますが だからといって才能を持つ人が、神様に選ばれ、成功を約束される人なのでしょうか。 自分が自分の才能を「才能だ」と認識しているうちは 自分の力に頼り続けるこ...
福島潟の感動的な夕焼け。 今日は教文館のカフェに入り浸って、元従軍チャプレンだったマリーン・キャロザースの「獄中からの賛美 (Prison to Praise)」を読みました。 本が出版されたのが私の生まれた翌年(1974年)だから、もう40年以上前のことです。主にベトナム戦争のころの話とリアルにかぶる部分がありますが、霊的成長の過程をとてもリアルに描き出している本でした。 元々、刺激を求めて陸軍訓練から脱走、刑務所入りになる著者が、祖母と祖父の強い祈りの元で信仰に導かれ、やがて牧師を目指すようになります。 しかし、どうしても心にひっかかることがあったそうです。それは不正なやり方で溜め込んだヤミ資金でした。彼はそうと気づくや否や、そのお金(為替)をすべてトイレに流してしまったとのこと。そして、元軍人であるがゆえ...