早朝のひかりキッズ。
隣の教会の皆様や用務の先生が心込めて育ててくださったお花でいっぱいです。
連休で久しぶりにブログに向かう時間が出来ました。
明日は園で「家族の日」礼拝を持ちますが、改めて「愛するということ」って何か?子どもでもわかる説明って、どうしたらよいか?と考え、調べてみました。
エーリッヒ・フロムという20世紀初頭の思想家は名著『愛するということ(1956)』の中で、愛の5つの要素を挙げています。
1.あたえる:「自分のなかに備えられ、与えられたものを与えること」授与
2.きづかう:「愛する者の生命と成長を積極的に気にかけること」配慮
3.になう:「誰かの必要を満たす責任を持つこと」責任
4.うやまう:「尊敬とはその人が唯一無二の存在であることを認めること」尊敬
5.しる:「己への関心を越えて、その人をありのままに受容れ、知ること」受容
フロムは本当の愛を体験するためには愛を深く学び、愛するための技術を習得する必要があると言いました。要するに、「愛すること」は単なる感情ではなく、繰り返し学び、獲得する「技術」ということです。
私が教育者として尊敬する、元小学校の校長先生で現在89歳のいとこのお姉様に先日お会いしてきました。教育について抱えている問題をいろいろご相談すると、いつもシンプルに「子どもは、自然と育つでね」(岐阜弁)・・・
裏を返せば「大人が子どもへの関わりをあれこれ工夫することで。子どもを変えようとすることはできない」ということですね。「愛」の忍耐、という訓練と技術が必要・・・正直途方に暮れることもありますが、、
フロムは「自分が孤独であって、孤独を感じない、ひとりでもいられる力が前提条件」と言っています。「精神的孤独が肉体の孤独よりつらい」とも言っています。
ひとりでもいられる力・・・自分の心のさらに内側の「霊」の領域に、神様との交わり・つながり、人が離れても神は離れない、その確信を、体験的に持っているか・・結局そこにたどり着くのでは。
マザーテレサは「どうしてそんなに与え続けられるんですか」という記者の問いに対し、こう答えたそうです。
「持っていなければ与えられない」
「与えてなくなるものは与えられない」
「自分のために稼いで得たものは与えられない」
毎朝の早朝ミサで、神様からの満たしをいただいているからこそ、誰もが目を背けるような。死にゆく人のお世話に笑顔で向かうことができるそうです。
フロムの言う上記5つは、そのまま神が自分にしてくださること、とも理解できます。それを受け取り、認識し、感謝すること、要するに一人で朝の静まった感謝の祈りの時を持つこと、これもまた大事な愛すること(愛されていることを認識すること)の訓練としてかかさずに続けることが大事なのだと思わされました。
音楽は、心(感情)と霊の領域の橋渡しをする大事な働きだ、というのは以前ブログでも書きましたが、奏でるものの心が違う霊に支配されると、心・体ともに180度反対の結果を産みます。
音楽家こそ、愛されて、愛を感謝して受け取る存在でなくてはいけない。
そのためには、自分で霊の空白を埋めてしまえる状況、つまり、賞賛される、お金が入る、人気が出る、上手に演奏できる・・・そういったものは、無ければないほど、良いのかもしれません。
昨日の長生館ピアノラウンジの様子です。
たくさんリクエストをありがとうございました。
終演後に前の席の方が「落ち込んでいたんですが、励まされました!」とお声をかけてくださって、こちらも本当に励まされました。ありがとうございます。