ここ数日の学会や、病院・施設でのコンサートで、いろいろと考えさせられることがありました。
最初は、緩和医療学会。
緩和医療の対象になるのは、日本の場合ほぼ「がん」の方。治療を目的としない以上、必然的に自らの「死」と否が応でも向き合わなければならない現実があります。
「できることを見つけて、頑張ってみましょう」という励ましが、いつか必ず空しいものになる。出来なくなる現実を突きつけられる。鎮痛剤や麻薬による体の痛みのコントロールが出来ても、生きている意味が見いだせなくなる。加えて経済的負担、無力感・・・
うつ状態への罹患率は9割、自殺の割合も随分高いとのこと。患者様が自殺した場合、残された親族に加えて、医療関係者にも大きなショックを引き起こすそうです。
どうして人は命の終わりにこれほどまでに苦しまなければいけないのか・・人によっては心筋梗塞などで一瞬にして死を迎える方もあるでしょうが、大概の場合、命の終わりは何らかの苦しみと共に乗り越えていかなければならないようです。
音楽療法も効果がある、と一般的に言われますが、お会いした先生の中には、音楽療法の副作用を研究されている方もいらっしゃいました。音楽療法中は良いのだが、終わった日の夜等、異常行動が見られるケースがあるそうです。
表には出ない、心の奥にある苦しみ、思いをどうやって汲み取り、どう寄り添うか・・それが本当に求められていることなのでしょう。音楽が、その心のオープナーになるきっかけになることもあるかもしれませんが、決してこじ開けてはならないのだと思います。
次に、統合失調症等のこころの病を抱えた方の交流スペースにてのコンサート。
皆さん、見た感じ普通の人。でもお話を聴くと、どうしようもない心の闇があるという。何回か死のうと思ったこともあるそう。コンサートの反応もどちらかというとかなり、おとなしめ。「本当にこれで良かったのか・・単に押し付けコンサートになってしまったのでは」という気持ちでいっぱいでしたが、でも、終わってからいろいろと話しかけてきて下さったり、お土産を下さる方もいて、大分救われました。撤収を手伝って下さる方もいらっしゃいました。
後でふっと気がついたのが、私達が、その場にいっしょにいて、楽しい時間を過ごしたということ、それだけで良かったんだ、ということでした。「相手の心に届かなければコンサートとしては失敗だ・・」というような気持ちについなりがちですが、一番基本的な「同じ立場に立つ」ということがどういうことなのか、改めて気付かされました。
その後に、病院でのコンサートを2つさせて頂きました。1つは外来の方や地域の方も多い、割と大規模なコンサート。もうひとつはリハビリのスペースでの小規模コンサートでした。
会場の参加者の顔ぶれを見て、その日のニーズを感じ取ること・・これが本当に大事であることが、これまでの何度かの経験で学びました。お客様の中で、40日間、ほぼ死にかけていた所からやっと回復した、という方が、演奏後「生きてて良かった、と初めて思えた」と嬉しそうに話して下さっていたのが大変印象的でした。ひとつひとつを、今後も決して手を抜かないように、進めていきたいと思います。