今日は保育士試験。
雨のはずなのに、空が晴れている。
励まされる。
今週は職員面接。
PDCA、OODA、といろいろあるが
どれも「社員は、会社の目的のために動く駒。より性能の良い変え駒はいくらでもいる」
という大前提で成り立っていることに、非常な違和感を覚える。
ひとつの大きな家族として社員を見たときに
一人ひとりの職員の背後に、その人自身の人生がある。
その人生の中の貴重な時間の一コマを、社員の家族環境・経済状況含めて
一緒に過ごさせていただいている、そういう存在だ。
その人自身の人生の過去、現在、向かうべき先の共有をすることなしに
会社の都合だけを押し付けるのは、あまりにも強者のエゴではないか。
社員の会社に勝る権利は「辞めること」だ。
色んな事情があって辞めるのはもちろん致し方ないが
それも含めて家族だ。家族だって、家出することも、病気で入院することもある。
社員の人生、環境、そのようなものを総合したときに初めて
実は会社の向かうべき、あるべき姿が見えてくるのではないかと感じている。
事実今私の会社はそうなっている。
会社のサイズ、事業展開のスピード、利益配分など
家族ならそのように決めるはずである。
社会に対してより良い仕事をしようと思うあまりに社員を駒として評価するのは、
1950年代のホスピタリズム論争にみられるような
日本人の落ち度である。
ホスピタリズム(施設病)が取りたざされたとき
欧米諸国は、集団養護をやめ、小規模・家庭的養護の方向に舵を切った。
日本は、「どうしたらよりよい施設ケアができるか」という発想に行き着いてしまった。
人を見ず、組織を見てしまったのである。
その悪癖が、今も日本の保育・社会福祉に根強く息づいている。
私の会社は個人のSWOTから始める。
個人の人生を共に歩むところから始めないと
誰もいない会社で終わってしまう。