2017.07.25

日野原先生の逝去に思う

vlcsnap-2017-05-05-15h03m37s36日野原重明先生が7月18日、105歳で天に召されました。

私も数年前、緩和ケア学会で先生の講演を拝聴しましたが、100歳を超えているのにあまりにシャープな頭脳に大変驚いた記憶があります。

報道によると、最後は、胃瘻を選ばず、自ら自宅での静養を選択されたとのこと。死ぬということは、人間の最後に残された最も大きい仕事だと思いますが、その人生の最後の歩みにおける平安が先生の生き様を象徴している気がします。

先生が1970年のよど号ハイジャック事件に巻き込まれた話は有名ですが、先生はそこで自らの命が助かった際、「自分のいのちは神から与えられたものだ。これからは人のために生きよう」と、生き方の方向転換をされたそうです。

それからの先生の社会貢献の歩みは、聖路加病院のサリン事件の際の大々的な受け入れ態勢や、小学校での「いのちの授業」「葉っぱのフレディ」など数限りがありません。生きる喜びを体現されたような人生を歩まれたと思います。

 

一方で、同じよど号ハイジャック事件に巻き込まれた方で、時のヒーローとなった山村新治郎という方がおられます。時の運輸事務次官でしたが、乗客の身代わりとなって人質となり、その後解放された方です。

その勇敢な行動が讃えられ、次の選挙では本人の予測どおりトップ当選。政界の成功街道をまっしぐらに歩んだ方でしたが、自民党訪朝団団長として1992年に再び北朝鮮に向かう前日、次女に刺殺されるという非常に悲しい結末を迎えたのでした。そして4年後に次女も自殺します。

 

どちらも、人のために自分を捧げ、行動を起こしたことに変わりはありません。

しかし、何がこの人生の違いになったのでしょうか。

 

私は、当事者でないので明確な答えを断言することはできません。

しかし、一つ生き方の違いから見えてくるものがあるとすれば、自分が注いだ「愛」の向かう先が異なる、ということではないかと思います。

前者は、愛を注ぐ先が、自分の栄光ではなく、神でした。人々に、神の愛をわかりやすく伝える。そのことに全力を注いでおられたように思います。

後者は、注いだ愛の見返りとして、選挙の当選という、自分の栄光が高められることを求めていたのではないでしょうか。それはある意味、人間として至極当然の判断でしょう。当選することによって、自分が考えるより良い政治のリードができれば、世の中が結果として良くなるはず。単に有名になる、名誉がほしい、というような悪い動機だけではなかったかもしれません。

しかし、神の道は人の思う道とは異なることが往々にしてあることに気づかされます。

 

神を第一とするか。自分を第一とするか。

恵みを受けるものになるのか。自分で恵みを作り出そうとするのか。

 

「自分が弱い存在である」ことを一日でも早く知らされることは、豊かないのちを生きる上で、一番の恵みではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 


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