その間に流れる「いのちの時間」を、何に投資するでしょうか。
新幹線の窓から、立ち並ぶ工場を見ていて、ふっと思いました。
「ものづくり」という仕事は、最初に「設備」という莫大な投資を伴います。
順調に売れているときは良いですが、急に取引先から「NO」を突きつけられると、途端に負債の山と化します。
時代の変化についていけない時には、どんなに大きくて立派な工場も、苦しみの種になってしまいます。
一方で、自分の人生の中で費やした「いのちの時間」という投資についてはどうでしょうか。
何かの学び、誰かとの出会い、貴重な経験・・・
そういったものを、本当に価値あることに投資しているでしょうか。
今の自分があるのは、紛れもなくこれまでの「いのちの時間」の投資があるからです。
しかし、そのことを、「世の中のニーズに応える」という言葉の甘い罠の元に、本来すべきことに用いていないのなら、それは「大きな損失」と言わざるをえません。
でも、工場の経営者のように、身に染みてそれをなかなか感じにくいものです。
「いのちの時間」の投資は、何のために、誰に向けて行うべきでしょうか。
そのことを、もう一度じっくり考えて見る必要があると思います。
私たちのいのちには、いつか終わりが来ます。
いのちがなくなっても、永遠に残るもの。そのことに、本当の投資をするべきではないでしょうか。