子供が夏休みの時期に入り、自宅で子供とのテレビを共に楽しむ時間が増えますね。
アンパンマンはこの年になってはじめてじっくり見るようになりましたが、特に初期のアンパンマンのストーリーは素晴らしいですね。人間にとって大事なものを教えてくれます。
今日見ていたストーリーでは、春巻き坊やとカレーパンマンが、どっちがおいしいか、を真剣に争っているシーンがありました。そこに、バイキンマンとドキンちゃんが、「自分たちがグルメ王になって、判定してやる=自分たちがたらふく食べてやる」という悪いアイデアを思いつき、変装して登場します。
けしかけられた春巻き坊やとカレーパンマンは、「やってやろうじゃないか」と、へとへとになるまで春巻きとカレーを作り続けます。最後は偽グルメ王がまるまる太って転がって行き、化けの皮が剥がれるまで食べ続けます。
春巻き坊やとカレーパンマンは「ばかじゃないか」とけなすのは簡単ですが、この世の中の成功という名の競争が、往々にしてこの2人のやっていることにとても相通じる気がするのです。
世の中の悪魔ともいうべき「欲望の塊」にけしかけられて、その土俵で勝ってやろうと、全精力を傾けて努力をする。それが、自分が生き延びる、またアイデンティティを維持する砦だ、と言わんばかりに。
冷静に考えて、人によって好みが違うのだから、自分は自分のテリトリーで粛々と事を成せば良いだけのことですが「より良い評価を得たい」という動機が、変な方向に二人を走らせてしまいました。
人生の中で最も大事なことは何でしょうか。
人は何のために生きているのでしょうか。
先日のリトリートの中でも、メディテーション(瞑想)セッションの中では何度かこの問いを繰り返しました。自分のアイデンティティを残す、ということであれば、人は本当に空しい結果に終わってしまいます。
先日、事業で大成功し、一つの確固たるアイデンティティを持つ法人を築かれた方が、高齢になり退職を機に血の繋がらない後継者に事業を譲ったが、その後継者の詐欺まがいのやり方に、とても心痛めて体も悪くされている、というお話を伺いました。
時代が変われば世の評価も変わり、アイデンティティも崩れ去る。
聖書には「永遠に残るものは、信仰、希望、愛です。そのなかで最も偉大なものは愛です」(第1コリント13:13)とあります。
一対一の「愛」の関係、これは何倍にも大きくなって繋がっていくものだという約束があります。
愛に生きること、これは人としてのアイデンティティではなく「神様の子としてのアイデンティティ」を持つことに他なりません。愛のゆえに自分の持つものを失っても、神は無限のリソースを持つお方であるから、その相続人としてあらゆるものを満たしていただける、という確信に立つことができます。
ちなみに、先の春巻き坊やとカレーパンマンの争いは、最後に「カレー春巻き」を合作することで決着がつきました。お互い持つ賜物を互いに受け入れあい、生かしあうことができれば最高ですね。