![[日比野 則彦 / Norihiko Hibino Official Blog]](https://life.rinshu.net/images/header-logo.png)

50代は自分の人生の成果を嫌が応にも見せつけられる年代だ。
謙遜に生きたか。
大胆に生きたか。
その歩みに応じて周りの人々も変わってくる。
以前なら数多くの人と関わることでいろんな発展があったが
今では本当に分かってもらえる数少ない心の友と、大事に何かを作り上げられたらと思う。
結局のところ
謙遜か、大胆か、を判断するのは「自分」であって
自分がそうだと思い込んでいる、もしくはそう思いたいだけかもしれない。
自分を見る限り、答えはどこにもない。
自分は水道管だとしたら
その水がどれだけの人に届いたか
その方が重要だ。
水道管は大胆に長距離を貫くものから、細く必要なところに届けるものまで
あらゆるものが必要だ。
水道管の謙遜さ・大胆さがどうかを問うことは、水の本質を見ることから外れている。
しかし水道管のスペックを議論することが日常あまりにも多すぎる。
老朽化すれば水道管は取り替えの時期が来る。
その地域に必要がなくなれば取り去られることもあるだろう。
その間、障害物を溜めずに水を流し続けたかどうか。
そこが一番、大事なのではないか。
事業をやるとは、この水道工事をやるようなものだ。
水を届ける想いがなければ、どんなに良い水道管を揃えても
事業はその目的を果たさない。
水を届ける方法は地域、時期によって様々だ。
アフガニスタンの中村医師のように、水路を掘るところからせねばならない場合もあるだろう。
逆にこどもが作る竹細工が必要な水道管となることもある。
水を届ける想いが、人をひとつにする。