2017.08.17

自然が育むcreativity

近所の公園で遊ぶ子供達。広大な敷地が、貸切状態です。 子供にとっては、草・花・石が、冠やパンに本当に見えたりするのですね。自然の中で遊ぶということは、本当に創造力を育むのだなあと実感します。 子供が石で作ったアート。見事ですね。   自然の中には、何一つ、私達が簡単に規格化できる形や色が存在しないことがわかります。 多様性が、いろんなcreativityを生むんですね。   大人になると、人は物事を規格化する尺度を覚えます。 もしくは、規格そのものを作りたくなります。 そして、規格に慣れると、規格がないと不安になります。   こうしてタイプしているパソコンの文字は、実に規格化されたものです。 便利ですが、creativityがありません。 「あ」という文字の奥に含まれる、その人の思...

2017.08.03

休息の大事さ

先週末の福島潟、そして長生館のコンサートには、多くの方にお越しいただいて本当に感謝でした。 リトリートでは、とても美しい蓮の花を見ることができました。 天気も奇跡的に守られ(コンサートの終演直後から、雨が降り始めたのは本当にびっくりでした)、素晴らしいひとときとなりました。 先週から休みなく仕事や移動が続いていたこともあって、今週は体調を崩してしまいましたが、そのおかげでこの2日間ほど休息となり、とてもゆっくりした時間を過ごすことができました。 8/1は結婚記念日でしたが、普段は子育てに、仕事に何かと忙しい妻とも、ゆっくりと過ごすことができて、とても良かったです。 いろんなことに、改めて感謝の気持ちが湧いてきて、とても嬉しくなりました。   この2日間、私は寝ているだけで、妻がかわりにいろんな連絡業務...

2017.07.25

日野原先生の逝去に思う

日野原重明先生が7月18日、105歳で天に召されました。 私も数年前、緩和ケア学会で先生の講演を拝聴しましたが、100歳を超えているのにあまりにシャープな頭脳に大変驚いた記憶があります。 報道によると、最後は、胃瘻を選ばず、自ら自宅での静養を選択されたとのこと。死ぬということは、人間の最後に残された最も大きい仕事だと思いますが、その人生の最後の歩みにおける平安が先生の生き様を象徴している気がします。 先生が1970年のよど号ハイジャック事件に巻き込まれた話は有名ですが、先生はそこで自らの命が助かった際、「自分のいのちは神から与えられたものだ。これからは人のために生きよう」と、生き方の方向転換をされたそうです。 それからの先生の社会貢献の歩みは、聖路加病院のサリン事件の際の大々的な受け入れ態勢や、小学校での「いの...

2017.07.03

今日を生きる

雨が降り続いています。 先日は、介護施設の中でも20年以上の歴史があり、現在看取りまで積極的に行っているという施設様でのコンサートがありました。ご家族の方もご一緒に来られ、総勢100名を超える賑わいでした。 職員の方々も素晴らしいお人柄でしたが、彼らは入居者様にとって家族以上の家族となっており「自分のケアがこれで良かったのか」と悩むことも多いといいます。 特に食べられなくなった方に無理やり食べさせることに対して、悩む部分も多いようでした。   ある方が、終演後の打ち上げで「『そうか、今日を楽しく生きれれば、それでいいんだ』と思うと、とても気が楽になりました」とおっしゃってくださいました。   「天上の音楽」コンサートでは「いのちの希望」をお届けしたい、というのが私たちの願いですが、その根本に...

2017.06.28

「いのちの時間」という投資

いのちには、はじまりがあり、終わりがあります。 その間に流れる「いのちの時間」を、何に投資するでしょうか。   新幹線の窓から、立ち並ぶ工場を見ていて、ふっと思いました。 「ものづくり」という仕事は、最初に「設備」という莫大な投資を伴います。 順調に売れているときは良いですが、急に取引先から「NO」を突きつけられると、途端に負債の山と化します。 時代の変化についていけない時には、どんなに大きくて立派な工場も、苦しみの種になってしまいます。   一方で、自分の人生の中で費やした「いのちの時間」という投資についてはどうでしょうか。 何かの学び、誰かとの出会い、貴重な経験・・・ そういったものを、本当に価値あることに投資しているでしょうか。   今の自分があるのは、紛れもなくこれまでの「...

Page Top