お金が余っていると言われます。
貧富の差がより日本でも明確になり、大企業や一部の人にお金が集中し、大多数の若い世代にお金が回らなくなりました。マイナス金利とは、まさに「カネ余り現象」でしょう。
正しくは「有効な投資価値を見出せるものがない」というべきかもしれません。現在のマーケティング理論は、いかに顧客数・顧客単価・購買頻度を上げるか、この公式に則っていない限り収益は増えないとしています。
しかし、実は、顧客数少数、顧客単価不明、購買頻度も不明、それは事業とはいえないようでいて、一番真の収益を提供していることもあるのではないかと思うのです。
要するに、お金で買えない価値を提供する場。
その価値を受ける方は、もしかしたら本当にぎりぎりの生活で1円も払えないかもしれないし、もしかしたら、価値を自分が直接受けないとしても、本当に社会に貢献できる価値なら100万円払ってもよいと思う人がいるかもしれない。
そういう「経済効果を超えた本物の価値」をどれくらい現実味をもって提供できるか。そして、それを経済効果のサイクルに乗せる以前の小規模で、まずどれだけ展開できるか。それを作り出せるかが、これからの時代に残っていく事業ではないかと思います。
暇つぶしの娯楽やなまじ金儲け目当ての事業で数百万はすぐに飛んでいきます。この混迷の時代、本当に有意義な投資価値に投資して、自分もその一部になった方が、よっぽど幸せなのではないでしょうか。そのことに気付いた方が、最近少しづつ、現れてきている気がします。
これを「顧客単価」の計算を始めた途端、サイクルは「経済効果」になります。どんなに崇高なビジョンを持って、世のため社会のために活動を展開したとしても、そこにお金をベースにした「算段」がある以上、採算の取れないことはやらない、という結論になります。結果、資本主義社会と同じく、弱者を見捨てることになります。
先の公式が基盤としているのは、「お金は獲得するものである」という姿勢だと思います。お金を追いかける以上、結果は経済効果によって測られます。そうすると、そのメリットが得られなくなった時点で、世の中から不要とされます。それが人間には一番つらいことです。「あなたはいらない人間である」と言われることが。人を切り捨てていった最後、自分が捨てられるのです。
先日、ある高校の先生が素晴らしいことをおっしゃっていました。「1匹の羊を探すために99匹の羊を置いていく、という話が聖書にありますが、これは本当にその通りです。1匹を追いかけていると、残りの99匹は「自分も迷っても大丈夫だ」と思うそうで、結果面倒を見ていなくても自立していくそうです。ところが99匹を中心に考えると、「ついていかないと置いていかれる」と感じるそうで、そこはストレス社会になるのです」と。
お金を行動基準の指針にしない。これは、本当に勇気のいることです。私も毎日これはチャレンジです。「採算や資金があるからこそ社会貢献は成り立つのだ」これは正論です。しかし、ここに立脚してしまうとまたもとのサイクルに戻ります。「お金は世の中全体には潤沢にあるので、必要なところに与えられるものだ」と信じ、お金に目を向けるのではなく、「価値」に目を向けて、最小限の人数でコストを最小限にして行動を起こすこと。幸い、IT技術の発達でコストを最小限にする選択肢は随分と増えました。
そして、勇気を持って一歩を踏み出すこと。価値を分かりやすく提供すること。だめだと思ったら思いつめないで散歩でもすること。本当の価値を築くステップは、この繰り返しではないかと思います。