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2017.09.11

善きサマリア人

今日からまた新しい一週間が始まります。 「善きサマリア人」の話はご存知の方も多いかと思います。昨日の日曜学校のテーマでした。 ある人が山を越えて旅に出たとき、山で強盗に襲われ酷い怪我を負わされました。 通りがかりに、その人が倒れている様子を見た祭司は、「危ないところだ」といってそそくさといってしまった。その次に通った祭司の手伝いをする人も「急がねば」と、見て見ぬ振りをしていってしまった。ところが、その人と仲の悪い部族であるはずのサマリア人が、通りかかって、ロバに乗せて、宿屋まで運んでくださり、看病してくださり宿屋の代金まで払ってくださった、というお話です。 昨日は非常に貴重な視点を教えてもらいました。 サマリア人が、なぜ彼を助けたのか、という点です。   実は、サマリア人は、倒れている彼を見て「かつて...

2017.09.03

Thought of the new day

ついに44歳になってしまいました。 あたりはすっかり秋の虫の声に包まれています。私の人生も秋に差し掛かってきた感じでしょうか。 新潟に引っ越して4年、とにかく全てが変わりました。まだまだチャレンジは続きますが、人生の折り返し地点でとにかく一歩を踏み出せたことは感謝でした。秋になってもまだまだ種蒔きを続けている状態ですが、収穫するのは、冬を越えて私の次の世代になってからかもしれません。 昨日の統合医療学会では1スタッフとして関わらせていただきながら、非常に目を開かれる言葉をたくさんいただきました。特に在宅・緩和ケアに関わる先生方の共通見解が「病を直す=病人を患者として見る」視点から、「病とともに生きる=一人の生活者として見る=本人・家族・医療者の一致」という視点に変わってきていることは、新しい「いのち」の価値観が...

2017.08.24

心の闇の叫び

人には誰にも言えない「心の闇」があるのではないでしょうか。 その叫びに耳を傾けたことはあるでしょうか。   普段は蓋をしておいて、真っ当に社会生活を送ることもできるし、対人関係もこなすことができる。 しかし、ふとした時に、その闇からの叫びが大きくなり、狂ってしまいそうになる。何のために生きているのかわからなくなる。 そんな声を最近よく聞きます。   私も大学で心理学を勉強しましたが、「誰が悪い」「何が悪い」「どういう体験が原因」「どういう社会構造」という問題に目を向ける方法は、カウンセリングや心理テストを含め、山とあります。 原因を「知る」ことは自分の中での整理をつける上で必要でしょう。しかし、原因を「悪い」としたところで、問題は解決するでしょうか。   私たちには、変えられるもの...

2017.08.17

自然が育むcreativity

近所の公園で遊ぶ子供達。広大な敷地が、貸切状態です。 子供にとっては、草・花・石が、冠やパンに本当に見えたりするのですね。自然の中で遊ぶということは、本当に創造力を育むのだなあと実感します。 子供が石で作ったアート。見事ですね。   自然の中には、何一つ、私達が簡単に規格化できる形や色が存在しないことがわかります。 多様性が、いろんなcreativityを生むんですね。   大人になると、人は物事を規格化する尺度を覚えます。 もしくは、規格そのものを作りたくなります。 そして、規格に慣れると、規格がないと不安になります。   こうしてタイプしているパソコンの文字は、実に規格化されたものです。 便利ですが、creativityがありません。 「あ」という文字の奥に含まれる、その人の思...

2017.07.25

日野原先生の逝去に思う

日野原重明先生が7月18日、105歳で天に召されました。 私も数年前、緩和ケア学会で先生の講演を拝聴しましたが、100歳を超えているのにあまりにシャープな頭脳に大変驚いた記憶があります。 報道によると、最後は、胃瘻を選ばず、自ら自宅での静養を選択されたとのこと。死ぬということは、人間の最後に残された最も大きい仕事だと思いますが、その人生の最後の歩みにおける平安が先生の生き様を象徴している気がします。 先生が1970年のよど号ハイジャック事件に巻き込まれた話は有名ですが、先生はそこで自らの命が助かった際、「自分のいのちは神から与えられたものだ。これからは人のために生きよう」と、生き方の方向転換をされたそうです。 それからの先生の社会貢献の歩みは、聖路加病院のサリン事件の際の大々的な受け入れ態勢や、小学校での「いの...

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