2017.04.09

演奏家が無名で地方に赴く時 - When a musician goes out to countryside without his own fame -

IMG_9619私は日曜日、都合のつく時は地元の教会で、ピアノの奏楽を担当しています。

また、地域の方々、教会の有志の方々で構成する聖歌隊の指導をしています。

今日は両方を行う日です。

 

先日、教会のメンバーに加わってくださった方が、とても嬉しい言葉をかけてくださいました。

「日曜日に、あの奏楽が聴ける、と思うと、とても嬉しくて涙が出ます」

奏楽というのは完全に脇役ですので、そんな風に思っていてくださる方がいたとは、本当に驚きで、また感謝なことでした。

 

たまたまた訪れた教会の奏楽や、あるいは名も知らぬ演奏家の公演に出かけた時、そこにははじめから「期待値」というものがありません。

「きっとこの人はいい演奏をしてくれるだろう」「有名だから素晴らしいはずだ」そんな先入観が、ない状態です。

 

だからこそ、音楽の一番大事な部分が、問題になってくるのかもしれません。

 

礼拝の奏楽は「神に賛美する」音楽であり、祈り演奏するものです。会衆に何か響くものがあるとすれば、それは神の霊的な語りかけ、そのものではないかと思います。

 

都心でどれだけ著名で有名な方との仕事を積み重ねてきたとしても、そういうプロフィールの全くない状態で、前知識の全くない方々に、音楽家として何を届けられるのか。

それこそ強烈なエンターテインメント性で、強い刺激を与えることも一つの方法でしょう。クラシックでも同じことです。厳しい鍛錬と経験を踏んできたからこそ可能な、サーカスのような曲芸を見せることも、素晴らしいことです。

一方で、自分の、経験や技、知名度、そういったものが全て捨て去られた状態で伝わるもの。それもまたあるのではないでしょうか。

地方で演奏する時には、それが、より露わにされる気がします。

 

霊的な感動。これには人のいのちを生かす力があります。

そこに身を投じて、人のいのちが「生きる」ことに身を捧げる演奏家。それが、今、本当の「地方活性化」に求められているのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 


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