2016.12.12

真の美しさ - True Beauty in a person -

img_0961クリスマスが近づいてきました。街は華やかさでいっぱいですね。

「女性の真の美しさは、持っているものではなく心であり、それは目に現れる」とオードリー・ヘップバーンは語っていたそうです。

「彼女はすでに見た目に麗しいから、それが言えるんだ・・」と思ってしまうのがひがみやすい私たちの性ですが、実際のところどうなのでしょうか。

 

美しさは、すでに備えられている「賜物」だと思います。

誰にでも、それは与えられているが、自分の美しさに気付いていない人があまりにも多いのではないでしょうか。

与えられた美しさを活かすことなく、無駄に毎日を過ごすこと、これが一番勿体無いことです。

自然界の美しさ、花の美しさは全てそうではないでしょうか。定められた時に美しく咲くこと。これを自ら否定する花はいません。人間だけが、「私なんて・・」と卑下しているうちに、時が過ぎてしまうのです。

そうしているうちに、自分の汚れや欠点ばかりが目につき、それを隠したり、人と比較することに終始してしまうのではないでしょうか。

私は音楽教室を運営していた時期があり、またこれまでの音楽制作の現場の中で、数多くの音楽の賜物の持ち主と会ってきました。その賜物を、限られた時間の中で最大限引き出して作品にするのが、私の仕事です。

素人さんであろうが、子供であろうが、シニアの方であろうが、超一流のプロであろうが、基本は変わりません。その方の輝いている部分に、どれだけフォーカスできるか。それを生かすために、全体の構成すらも臨機応変に変更します。長く録れないとわかれば、最短時間で最も美しい部分をキャプチャーして、あとはどう「メイク」で見せるか、を同時に考えます。メイクの方法は当然、あらゆる可能性を録音している最中に考えておかねばなりません。

「美しい」ことがかならずしもスッピンでなければいけないこととは思いません。「技術も全て賜物」という観点に立つ時、賜物を最大に活かすためにメイクを活用するのは大いに良いことだと思います。

でも、心にはメイクができません。これははっきりしています。逆に言えば、美しい心さえ録音できれば、あとはどうにでもなる、というのが本音です。

 

では、心を美しくするにはどうしたら良いのでしょうか。

 

自分の心が美しくないことは、自分が一番知っています。でも、自分のことだから、向き合いたくありません。美しいものをみたり、美しい言葉を聞いて、自分も綺麗になったような「気分」になることはできても、いざ荒波が来るといとも簡単に崩れてしまいます。

だからこそ、取られなければ、そして痛みを知らなければ、さげすまれなければ、なかなか本当の自分の心に向き合うことができません。

「私にはどうにもできない・・神様助けて下さい」という謙虚な思いに立つこと。それを通して自分の思いを捨てること。それが、唯一、美しい心を育む道ではないかと思います。

 

 


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