2016.10.08

田園風景と統合失調症のケア - pastoral landscape & care of schizophrenia -

img_1674そろそろ新米が出てくる時期になってきました。

先日山形に行った時の写真です。昔ながらの「天日干し」の田園風景がとても美しかったです。このはさ掛けにも地方の特徴があるんだなあと思い感心しました。

新潟に住む中国の方は、「新潟の魅力は、何よりも田園風景だ」とおっしゃいました。整った田園風景、それこそが貴重な日本の財産で、それを見るために旅行に来る方もいらっしゃるそうです。

今日はオランダからいらっしゃる精神科医、Ken Tanaka氏のセミナーの通訳をさせて頂きます。ヨーロッパは精神科の分野では随分と先を行っているようで、統合失調症のケアに、患者だけでなく家族とその関係を含めたカウンセリングを行うことで、目覚ましい成果を上げているようです。

資料としてフィンランド・トゥルクの1976,1983年の2回にわたって行われた実験を翻訳させていただきましたが、患者と家族との親密かつ独立した関係(mutual independence)がとても重要な指標となるようです。ここにフォーカスしたケアから始まって、最後は個人カウンセリングへと移行するスタイルでの取り組みを2年間行ったところ、最小・最短の投薬にもかかわらず、入院が不要になったケースが1回目の実験では62%、2回目の実験では77%という結果が出ていました。2回目の実験では2年の取組終了後の入院患者はたったの1人ということです。

Y.O.Alanen他による「統合失調症患者の「ニーズに寄り添う」新しいケアのあり方」(Acta Psychiatrica Scandinavica 1991: 83: 363-372)に記載されていたケーススタディの一部を紹介します。

「33歳の女性Mさん。スウェーデンから3人の子を連れてトゥルクへ帰ってきた頃から不思議な声が聞こえるようになった。恐れ、責めから始まり、彼女はその声との対話を通じて衝動的な笑いが見られた。彼女は催眠術によってこれが起こったと考えていた。彼女が打つ鞭の音が時折聞こえると語っていた。

Mさんは16歳の時スウェーデンに引っ越し、2回の結婚と複数のパートナーとの生活を経験したがいずれも長く続かなかった。3人の子があり、13歳が最年長であった。フィンランドに戻る一年前に離婚していた。離婚の原因として、旦那が攻撃的でいつも酒に酔っていたと語っていた(彼女の父も同様であった)。

トゥルクでは、Mさんは幾つかの短期の仕事をしたがいずれも成功しなかった。彼女は実家の母の元に帰ったが、その関係は争いが免れなかった。

不思議な声が聞こえるようになって6ヶ月してから彼女は自ら医者を訪れ、(統合失調症と判断され)私たちの元で5週間の入院となった。

Mさんの母と子をも交えた家族の状況分析により、Mさんは特に最も年長の娘への虐待があることが分かった。そんな中で長女は母の役割を担っていた。

約1ヶ月の間隔で4回の同一チームによるセラピーが行われた。家族セラピーを担当したセラピストは、Mさんが母としての役割を回復し、子供が母になってしまう状況を免れることに尽力した。

家族の繋がりを分析することで見えてきた、彼女の防御反応の中心にあったものは、彼女の子供に対する病的な投影性同一視であり、すなわち彼女自身の内にある抑圧された怒りが、子供に向けられていたのである。

そこから、Mさん個人セラピーへと移行した。しかし実際にその効果が発揮されたのは、家族セラピーにより彼女の防御が壊された後であった。

(中略)

家族が二年目のフォローアップでセッションに招かれた。Mさんは個人セラピーを継続していた。彼女は子供との関わりの中で母親の役割を取り戻していた。子供は精神的にも独立しており、当初の投影的問題は見られなくなっていた。Mさんと子供は共に、家の外において新しいことや関係に関心を示していた。Mさんは母との距離はできたものの、争いに発展することが減った。Mさんの人生の歩みと心の内は臆病さと警戒心があり、時々不思議な声を聞くことがあったが、彼女はそれが内から響いている声であることが分かっていた。社会的には、彼女は職業カウンセリングによって支えられていた。

ここにおいて家族セラピーと個別セラピーがつながったものとなった。患者と家族全体の視点から導き出された治療指針に従い行った「ニーズに寄り添うケア」が身を結んだと言える。家族に介入するケアの一番の成果は、病的防御メカニズムを壊すことができること、そしてそのことが同時にその後開始される個人セラピーの必須前提条件を形成しているということである。」

家族間の緊張は、往々にして次の世代へと投影されてしまいがちなのかもしれません。誰かがそれを食い止めなくてはなりません。そのためには、段階ごとにそれを受け止める「愛」が必要になっていくということではないかと思います。

最初は身近な友人か、家族かもしれません。しかし、やがて彼らにも手に負えなくなる時期がきます。その時、次のステップとして継続的・逐次的にその対策がとれるプロのケアスタッフチームがタイミング良く介入することが、とても重要ではないかと思います。ケアの方法としては、単に投薬だけではなく、カウンセリング・作業療法・ソーシャルワーカーによる社会的・経済的問題の解決や、時には音楽や食事、自然といった愛を伝える様々な方法を組み合わせて、進めていくことがとても大事なのではないかと思います。


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