2015.06.17

絶好の環境 - the best place -

ajisaiあじさいが美しい季節になりました。

私はあじさいがとても好きですが、あじさいの花に見える所は、実は花ではなく「がく」だそうです。
そういう主張の優しい所も私が好きな理由かもしれません。

今日も、朝の森は、花が美しく咲き、鳥が楽しそうに鳴いていました。

 

先日、ススメバチが自宅の軒先に、見事な巣を作っていました。

最近ハチが多いなあ、と思っていたら、当然のことでした。雨風が当たらず、風通しがよく畑も近く、ハチにとっては絶好の環境だったのでしょう。それにしてもハチが巣を作るスピードの速さには驚きました。

せっかくのハチさんには大変申し訳ないのですが、ハチの巣にはさようならをしてもらいました。

私達人間から見れば「もう少し違う所に巣を作ってくれればこんなことにはならなかったのに・・」と思います。次来た時には、「ここに巣を作っちゃダメだよ」とちゃんと教えてあげられればいいのですが・・

 

人は自分にとって「絶好の環境」と思う所で、営みを始めます。

例えば、谷や沼地。水が近くにあるし、平野が作れるので開発がしやすいし、おまけにそれまで人があまり住んでいなかったので地価が割安な事が多い。そうして人もモノも金も集まってくるので、文化も育ちやすいです。

渋谷、池袋、溜池山王、銀座・・・全部そうですね。

また、「この学校に入れば」「この人と結婚すれば」「この会社に入れば」・・自分にとって絶好の環境であると思うから、人はその選択をし、またそれに向けて頑張るのだと思います。

 

しかし、ハチの巣の例から、考えなくてはいけない事があります。

突然、予期せぬことで、自分の計画が全く無に帰してしまう事があります。「絶好の環境」が一瞬にして無に帰してしまう事もあり得ます。51年前の昨日の新潟地震もそうでした。中心部が特に甚大な被害でした。誰も予想が出来ませんでした。

 

私達もこのハチと同じように、「絶好の環境」と思いながら実は本当に危険な、不安定な環境に身を置いている事はないでしょうか。世の中の流れ、トレンド、成功哲学、ビジネスチャンス・・・そういった目先の事に目を奪われ、本当の自分が立つべき場所を見失ってしまうのです。

実は私の家から歩いて10分もいけば、素晴らしい森が広がっています。そこにはさらに豊かな食物があります。そこまで移動するのは本当にチャレンジかも分かりません。未知の困難があるかもしれませんし、誰も行った事がない道かも分かりません。でも「そこまでして・・」と思って真の問題に目を向けないとき、後に取り返しのつかないことになってしまうのです。

 

一方で、失業や離婚、死別等、自分の人生が閉ざされてしまうような経験を経て、まったく新しい別の場所に移されてしまうことで、逆にその「安住の地」を得る、ということもまた真実です。

 

何が本当に「絶好の環境」なのか。

心を静め、いのちの与え主の声に聞き従う必要があるのではないでしょうか。


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