2017.07.03

今日を生きる

vlcsnap-2017-04-27-15h09m41s78雨が降り続いています。

先日は、介護施設の中でも20年以上の歴史があり、現在看取りまで積極的に行っているという施設様でのコンサートがありました。ご家族の方もご一緒に来られ、総勢100名を超える賑わいでした。

職員の方々も素晴らしいお人柄でしたが、彼らは入居者様にとって家族以上の家族となっており「自分のケアがこれで良かったのか」と悩むことも多いといいます。

特に食べられなくなった方に無理やり食べさせることに対して、悩む部分も多いようでした。

 

ある方が、終演後の打ち上げで「『そうか、今日を楽しく生きれれば、それでいいんだ』と思うと、とても気が楽になりました」とおっしゃってくださいました。

 

天上の音楽」コンサートでは「いのちの希望」をお届けしたい、というのが私たちの願いですが、その根本に「いのちとは何か」という問いがあります。

 

いのちを「肉体が動くこと」とだけ捉えた時、死は「断絶」でありとてつもなく悲しい、できれば避けたいものになってしまいます。

しかし、私たち人間は、霊的な存在です。WHOも健康な人間の条件として①肉体的に②精神的に③霊的に④社会的に という4つを挙げています。

つまり、いのちとは「交わり」「繋がり」そのものです。逆に言うと、交わりがなくなってしまい、「お前はいらない」という思いに支配される時、人間は霊的に死んでしまい、やがて、心・体を死に至らしめることもあります。

 

ケアスタッフの方が家族以上の家族となり、利用者様お一人のことを思いやって、できるだけのことをさせていただくというその思い、それ自体が「今日を生きるいのち」になっているのではないかと思います。

ただ、それはスタッフに心の余裕がないと、できない対応であることも事実です。常に時間と予定に追われているスタッフの皆さんにとって、お互いが技術的に上手・下手、要領の良い・悪いを超えて「ありがとう」と気遣える関係になっていけることは、何よりも大事なことではないかと思います。

 

 

いのちの問題は私たち人間が扱える範疇を超えています。

わたしたちが扱えるのはこの2つです。

「神と私の交わり」

「私と人の交わり・繋がり」

自分の持っている予定や技術を一旦全て解き放ち、神の愛に心を向けること。

今、この瞬間、関わっている目の前の一人に心を注ぐこと。

 

これが「今日を生きる」ということではないでしょうか。


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