2017.01.10

「いのちの希望」を届ける仕事 - Mission to deliver "the hope for life"-

img_9386あけましておめでとうございます。

「スピード」「効率」「結果」「グローバル」を追求し続けてきた世界が、今、大きなターニングポイントに来ています。

その追求で拡大の余地がある時代は、それが皆の目標になりました。

しかし、情報を得ることが極端に簡素化・無料化される中で、クローズアップされてきたのは、自分の無価値感。人々は「何のために生きるのか」という答えのない根源的な問いに、向き合わざるを得ないようになってきました。

そこに目覚めた若者たちが、NPOやボランティアの活動に目覚めています。そこに、生きる意味を見出し始めています。しかし、経済的に出口が見出せないのも、また事実。発起人と幹部は生き残ることができるでしょうが、実際に活動を推し進めるスタッフたちは、それでは生きていくことはできません。

エンターテインメントも刺激がなければ理解されない時代です。さまざまなビジネスモデルが模索されていますが、目立たなければいつまでたっても認知されることはありません。

 

ここで、もう一度根源的な部分を考え直してみたいと思います。

 

「お客様の望むもの」を提供するのが現在のビジネスの基本でしょうが、その「本当に望むもの」をお客様自身がどれほど気づいているでしょうか?

自分のいのちが、もしくは愛する人のいのちが、明日取り去られるかもしれない、と分かった時、一番望むものは何でしょうか?

それまでの人生で様々な試行錯誤を繰り返してきたであろう、自分の考える「生きる意味」は、本当に望むものでしょうか?

 

「いのちの希望」とは、まさにこの問いへの回答です。

 

その答えは、人により様々なだと思います。様々な背景・宗教・思想がある中で、当然のことだと思います。しかし、そこにしっかりと向き合うことで、本当の意味で「豊かないのち」を生きていくことができる、と思うのです。

「仕事」というからには、収益が必要です。それは、共に「しっかり向き合って、共に歩んでいく」そのパーソナルな、とても小さなステップ、それを続けるところから生まれてくるものだと思っています。「実績」を元にした「投資」を呼び込む、というスタイルでは、これまでの「効率重視」の構図からいつまでたっても抜け出ることができません。

会社は、この小さなステップが歩める、最小限のサイズが最も望ましいと思っています。このような歩みの会社が、各地にたくさんできることが、一番良いことだと思っています。

 

現実問題として、講義形式で、死と論理的に向き合うことは、目的意識がはっきりしている方以外は少しハードルの高いものかもしれません。元気な人にとっては、なおさらそうです。

この問題を、感性の部分にまで深く切り込むコンテンツを作り出す。そして、人が自分のより深い部分で、しっかり自分を見つめ直し、次の一歩を踏み出す。そのお手伝いをすることを、私は仕事にしていきたいと思っています。昨年で、音楽・映像を軸にして、自然・食という要素も加わってきました。まだまだ小さいですが、プライベートで続けている「ほんわかサロン」という、語らいのグループも6年目に入りました。ここでは、その一歩を踏み出した参加者の方々の声が、他の参加者の大きな気付きとなっています。

 

アドバンス・ケア・プランニングという言葉が少しずつ知られるようになってきました。事前に、どのように自分の終末を迎えたいか(治療方針・意思決定者など)を、患者、家族、医療者と共に計画することです。ここに携わる方がおっしゃるには、結局のところ「どう死ぬか」ではなく「アドバンス・ライフ・プランニング」(どう生きるか)になる、ということでした。

また、小中高の学校においても、クラスに1人は不登校の子供が出ている昨今。

理由は様々でしょうが、本当のところ「どう生きるか」を本音で教えてもらえる機会が、なかなかないのでは、と推察します。

凛舟の関係で、そのような不登校の子供たちと関わってきました。みんなとてもいい子です。むしろ、必ずある特殊な才能を持っていて、自分でインターネットで調べて見事な才能を開花させています。ただ、学校教育のカリキュラムと一致していない、というだけです。そういう子たちに、私はいつも「世界を見て!」と言っています。マレーシアではオンライン動画で勉強するホームスクーリングが立派な学校カリキュラムになっているくらいです。Youtubeでかなりのことが勉強できます。

世界を見れば、マルチな人間よりも、「とんでもないこと」を極めた人間の方が喜ばれます。言葉が通じなくても、ファンができます。そうやって、何か一つを極めることで、自分に自信がついて、次のステップに進めるのだと思います。

五感を通じて、感じ表現する能力を育てること。

言葉で上手く言えなくても、他の方法で表現し、それを認めてもらう経験をすること。

これが「とんでもないこと」を見つけ、育み、やり続けることのできる必須条件だと思います。昨年から少しずつ増えてきた学校での公演も、少しずつ増やしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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