2016.08.13

獄中からの賛美 - Prison to Praise -

福島潟の感動的な夕焼け。

今日は教文館のカフェに入り浸って、元従軍チャプレンだったマリーン・キャロザースの「獄中からの賛美 (Prison to Praise)」を読みました。

本が出版されたのが私の生まれた翌年(1974年)だから、もう40年以上前のことです。主にベトナム戦争のころの話とリアルにかぶる部分がありますが、霊的成長の過程をとてもリアルに描き出している本でした。

元々、刺激を求めて陸軍訓練から脱走、刑務所入りになる著者が、祖母と祖父の強い祈りの元で信仰に導かれ、やがて牧師を目指すようになります。

しかし、どうしても心にひっかかることがあったそうです。それは不正なやり方で溜め込んだヤミ資金でした。彼はそうと気づくや否や、そのお金(為替)をすべてトイレに流してしまったとのこと。そして、元軍人であるがゆえに、軍でのチャプレンの仕事を求めるようになりました。

刺激的な軍のチャプレン職をエンジョイしていた頃、彼は「催眠術」にのめり込んでいきます。霊界の活動を見られることで、彼も興味深々でした。

しかしほどなくして、それがとても危険な罠であることに気づきます。それから、彼が人々との出会いを通じて、次のステップを経て成長していきます。

1)自分の内側に「神」が内在していること、我が罪のための十字架の救い、そして今も内側に生きて働いている事を、自分の問題としてはっきり見出した。(受容)

2)祈りの末に、明らかに神の技としか思えない、さまざまな奇跡を見るようになる。(理解)

3)突然の病気で自分の力を取り去られ、その中で自分の不純な考えをすべて神に明け渡すようになる。そしてキリストに用いて頂く段階から、キリストが生きて働く器へとなっていく。(委譲)

4)自分の苦手な習慣が、感謝の祈りによって、喜びに変えらえ、克服することができるようになる。(内側からの回復ー表層)

5)新しい赴任先で仕事がうまくいかず失意の中で、憎まれたり、非難されたりするときにこそ、ほほえみ喜ぶことができるようになる。(内側からの回復ー深層)

6)再び持病の頭痛に悩まされる。癒しを神に願うが、神はいやすこと(神の時がある)と、症状を取り去ること(即時にソリューションを求める)の違いを示される。(神の主権の理解)

7)理不尽なことを神に委ねて、感謝する祈りができるようになる。(神の主権の感謝)

8)黙想キャンプの中で、天につながる長いはしごのイメージが浮かぶ。雲の下の明るい光(多くの人が導かれるところ)、暗い雲の中(方向感覚がなくなってしまう。落っこちた人は他の人までだめにしてしまう)、雲を突き抜けた先(まばゆい光。雲の上を自由に歩けるが、下を見るとたちまち沈み始める)。困難な時期を神を見上げて乗り越えることの重要性を語られる。(神への賛美)

9)悪い霊の働きを見破ることができるようになる。また、感謝の祈りがその呪縛を解き放つことを学ぶ。(霊的な勝利)

そして彼が最後にまとめているのは、

1)純粋な心で神をあがめるためには、わたしたちの心が不純な動機や隠されたたくらみから清められなければならない。(聖化)

2)己に死ぬということは前進する旅路のようなもので、それはただ賛美を通してのみ旅していくことができるものである。(賛美)

 

こうして見ていくと、まず自分の個人的な問題として受け取るところから始まり、だんだん関心事が自分のことから神のことへと移って行っているのがわかります。そして、大きなパラダイムシフト(主が変わる時)の時には、必ず病気や挫折といった「困難」が用意されている事も注目に値します。旧約聖書の数々の例を見ても、この逆、すなわち自分の方から一方的に神を理解するところからスタートし(これが多くの宗教)てしまうと、往々にして袋小路に入り込みます。

改めて、困難な時期が備えられた恵みであることと、それを乗り越えるためには神への「感謝」と「賛美」が必要である、逆に言うと乗り越えることで神がさらに一歩近づいてくださる、ということを教えられました。


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